2019年9月30日(月)22時00分~22時50分 逆転人生「消せるボールペン 逆転大ヒット!」に出演!
累計26億本、何度も書き直せる便利さで世界中で大ヒットを巻き起こした「消せるボールペン」。
主人公の中筋憲一さん(76)は、筆記具製造会社のお荷物部署に配属され、希望していた筆記具の開発とは無縁のサラリーマン人生を歩む。
しかし34年の苦難を経て、会社のピンチを救う大ヒット商品を生み出すことに。
そんな中筋憲一さんとは、どんな人物なのか・・・
ぜひご覧下さい!
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目次
中筋憲一のwikiプロフィールがヤバイ!?
引用元:https://www.tut.ac.jp/prestige/nakasuji/04.html
プロフィール
名前 中筋憲一(なかすじけんいち)
生年月日 1943年6月21日
年齢 76歳(2019年9月現在)
経歴
1966年4月 パイロットインキ(株)入社
1993年1月 パイロットインキ(株)第2開発部長
1996年3月 パイロットインキ(株)取締役
2002年3月 パイロットインキ(株)代表取締役社長
2003年3月 (株)パイロットコーポレーション取締役
2008年3月 (株)パイロットコーポレーション常務取締役
2011年3月 パイロットインキ(株)取締役会長
2015年3月 パイロットインキ(株)常務
2016年3月 パイロットインキ(株)退職
現在は講演活動などをされているようです。
出身大学は岐阜大学で、工業化学科を1966年に卒業。同年4月にパイロットインキ(株)に入社されています。
1966年から2016年まで、50年。半世紀をひとつの企業で働いたのですね。
中筋憲一様は、昭和41年に岐阜大学の工業化学を卒業されてパイロットインキに入社されました。
その後、部長、それから平成14年に社長をされまして、平成23年には会長、27年には相談役。そして、今年の3月に退職された。
同じ会社にこれだけの信念を持って働いてこられたことだけでもスゴイことですよね!
長い間お疲れ様でした!これからはゆっくり休んで下さいね!!
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お荷物部署からの逆転人生とは?
引用元:https://www.tut.ac.jp/prestige/nakasuji/02.html
中筋憲一さんが入社した時のテーマはノンカーボン紙。今はノンカーボンが当たり前になっていますが、複写する時は、紙の間にカーボン紙を挟んで書いていた事を思い出しました。
カーボン紙で指先が汚れたことなど懐かしいですよね?しかし他社(製紙会社が強かった)との
競争に負けてしまい撤退することに。
崖っぷちに立った状況の中、まだ27歳の若者だったという事もあり、誰もがやっていない新しいことをと「色の変化するインキ」を開発したら、研究したらと考えて自然界で一番鮮やかに色が変わる。
もみじのような変化を試験官の中で作りたい!と研究を始めたそうですが、なかなか成果がでなくて参っていた時に、尊敬する雲の上の人からの一言が。
1~2ヶ月後に、のちに『メタモカラー』と名付ける新しい原理を発見したそうです。
メタモカラーとは・・・
引用元:https://www.pilot.co.jp/core_tech/ink_tech.html
温度によって色変化する機能です。筆記具やマグカップ、グラス、Tシャツ、雑誌からビールやワインのおいしい飲み頃サインなど様々なシーンで利用されています。
メタモカラーは次の三成分で構成されています。
色を決定する成分
発色させ濃度を決定する成分
変色温度を決定する成分
コールドタイプ・・・氷水で冷やしたり寒い戸外に出たりすると色が変化します
ウォームタイプ・・・体温や息の暖かさで色が変化します
ホットタイプ・・・熱い湯やドライヤーなどで暖めると色が変化します
橙、赤、桃、紫、青、緑、茶、黒など、ほとんど任意の色を選べます。
-30度〜+60度の範囲内に任意の温度で変色させられます。
3色の変化は次の2通りです。
有色 ←→ 無色
有色A ←→ 有色B
変色の感度(感知する温度)は±l度〜2度です
色の変化は何回でも可逆的に繰り返せます。
色と変色温度の組合せを工夫すると、何段階かの温度で次々と色相を変えることができます。
下地(下地に刷った印刷)を何回も繰り返し、隠蔽したり現したりできます。
耐光性にやや乏しい欠点があります。従って、直射光下に長時間さらされる用途には不向きです。
加工性に優れ、各種の印刷方法、二次加工法がとれます。
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フリクションボール誕生秘話とは・・・
引用元:https://spc-k.jp/SHOP/13958507.html
消せるボールペン『フリクションボール』はどのように生まれたかという話。
新しい原理を発見したのですが、何に使ったらいいのかということが、なかなか思い当たらなかったそうです。
先にシーズが生まれたようなもので、どんなニーズがあるだろうということで、いろいろ考えられたそうですね。
最初はガラスコップ、マグカップ、温度インジケーター、おもちゃなど、本業とはかけ離れた商品ばかり作っていた。
15年ほど過ぎ1988年に、世界最大のアメリカの玩具メーカー、マテル社から、女の子のいちばん好きな遊びはお化粧人形なので、お化粧遊び人形をぜひ作りたいと話があったという。
でも安全でなければいけないということが大きな課題。そこにメモリー機能というものを付加することができ、メイキャップドールを作ることができた。
マテル社はとっても大変な武器になったという。
それまでの普通の人形は当時6ドルだったのですが、それを26ドルで売る。それだけの付加価値がついたんですね。
さらに30年ほど経った2004年、パイロットのヨーロッパ販売会社の社長から、小学校中学校ではボールペンや万年筆を使っていると聞く。
日本では鉛筆を使っていますが、学校でボールペンや万年筆を使っていて、字を間違えると消すのに大変困っている。何かいい方法はないかという問いかけが来たそうです。
中筋憲一さんの時代は万年筆ですから、まず万年筆の筆跡をインキ消しで消すわけです。
同じ万年筆で書くと、消えてしまいますから、全然違う原理のもので書かないと書けない。3本のペンがいるという不便さをなんとか改良できないかということであったわけですね。
ちょうど技術も進化しておりまして、『メタモカラー』のメモリー幅も、マイナス20度で発色して65度で消色、消えるレベルに達していた。
これだけの温度があると、真夏の温度真冬の温度でも、部屋の中では問題がない、そういう温度で状態が保持できるようになっていました。
なぜ65度かということですが、実はペンの後ろにラバーがあり、これでこすったときの温度です。これでこすると摩擦熱で65度以上になる、こういうことで65度に設定したというわけです。
この筆記具は摩擦を意味する『フリクション』と名づけられました。もちろん英語のスペルでは登録できませんので『FRIXION』という商品名とした。
消せるボールペン『フリクション』は記録を残すだけではなく、書いて消してまた書いて、という考えるための道具に進化した。
1本で書類や教科書に書き込んだり消したり、それができるような新しいペンが開発できたという。
歴史があるというのはいいようですが保守的なのです。「そんなのおもちゃだ、アイデア商品だ、一過性で終わりだ」ということで、先にモノはできていたのですが、売らなかったという。
でも、あまりにヨーロッパで売れるので、1年後ですが、銀座の伊東屋さんで一度販売してみようということでテスト販売をやってみたそうです。
そうしたら、飛ぶように売れるというのはこういうことで、キャッシャーがもっとあればもっと売れるぐらい、たった200円のこの商品が1日で77万円売れた。
記録だと言っておりました。やってみたらものすごく売れた。
いったい誰が買ったのだろうということですが、誰だと思いますか。学生さんが買ってくれるのではと思っていたが・・・
フランスでは小学校中学校ですから学生さんだと思ったら、おばさん。中年の女性が、バサーッと買っていくのです。それに比べ男性にはダメだったそうです。
なぜ、おばさんがよく買ってくれたかというと、まず、友だちにあげるのです。ひらがなで書いて後で消して漢字にすると。
忘れないように、書いては消してができるボールペンがヒットしたんですね!
そんなことで、おばさんがこれを買ってくれるそうです。
そのうちにだんだん商品も広がり、このように『フリクション3C』といって、赤とか黒とか青の細いのを作るようになって、ビジネスマンが買ってくれたり、もっと細いのは学生さんが買ってくれるようになったという。
こんなふうに国によっても、あるいは誰が買ってくれるかというのも違う。商品が売れるということは、いいから売れるわけでもなんでもない。と語る中筋憲一さん。
商品化の非常に難しいところですし、これが面白味ということになるという。
いずれにしましても30年かけてやっと、本業に届く。先ほど言ったように年間3億本。国内で1年で1000万本売れたら、大ヒット!
全世界に同時に売れた。こういうことも非常に珍しいらしいです。
パイロットの歴史のなかで、国内はヒットしたけれど海外で売れない、海外でヒットしたけれど国内は売れない、そういうのが普通なのだそうです。
たまたま同時に国内海外が売れた、こういうことは歴史のなかでも、本当に珍しい話。
やはりタダ飯を食っているわけではないので、マグカップを作ったりおもちゃを作ったり、いろいろなことで我々の食いぶちだけは絶対稼いでいこうと言いながらずっとやってきたそうです。
出したときに最初からヒットしたかというと、そうでもないみたいです。
早過ぎてもいけないし遅過ぎてもいけない。マーケットはなかなか難しいところ、面白いところだと思います。と語る。
30年間かかったが、ようやく『メタモカラー』という原理が、本業の『フリクションボール』につながったという。
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まとめ
一度挫折を経験されてからの一発逆転で50年もの間頑張ってこられた中筋憲一さん。
2019年9月30日(月)22時00分~22時50分 逆転人生「消せるボールペン 逆転大ヒット!」に出演!
本当に諦めなければ人生やり直せるんだという事を証明した第一人者です。
「失敗が成功の元」と言いますが、誰もが失敗はしたくありません。
しかし失敗しないと気付けない事はたくさんあります。
もう引退はされていますが、お身体に気をつけてゆっくりして頂きたいですね。
本当にお疲れ様でした!
最後まで読んで頂きありがとうございます!
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