2019年10月22日に即位礼正殿の儀が開かれました。
即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)は、即位の礼の中心となる、即位した天皇が日本国の内外に即位を宣明する儀式である。
諸外国における戴冠式、即位式にあたり、皇居宮殿・正殿松の間で執り行われる。
そこで、疑問なのは、自衛隊による21発の礼砲の意味は?どういった意味があるのでしょうか?
ぜひご覧下さい!
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目次
即位礼正殿の儀とは?
皇位継承などの皇室に関する事柄は、昭和22年(1947年)に制定された「皇室典範」に定められています。
しかし、皇室典範には天皇の「退位」については定められていません。
そこで、天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位を実現するための「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が平成29年6月に制定され、天皇陛下が今年4月30日限りで御退位され、皇太子殿下が直ちに御即位されることとなりました。
御退位の日には、国事行為である国の儀式として「退位礼正殿の儀(たいいれいせいでんのぎ)」が行われ、御即位の日には「剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)」などが行われます。
そして、今年10月22日には、天皇陛下の御即位を公に宣明される「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」などが行われます。
今回のように、天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位が同時に行われるのは約200年ぶりのことであり、憲政史上初めてのことです。
国民こぞって御即位に祝意を示すため、「天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」が制定され、今年5月1日の「天皇の即位の日」、同年10月22日の「即位礼正殿の儀の行われる日」が、今年限定の「国民の祝日」に定められました。
皇太子殿下が御即位され、新たな元号になる今年は、私たち日本国民にとっても特別な年といえるでしょう。
天皇が自らの即位を国の内外に宣明する儀式であり、諸外国のいわゆる「戴冠式」や「即位式」に当たる。このため国内外から賓客が招かれ、特に国外においては国家元首あるいは首脳が参列する。
古来、大内裏内の大極殿、大内裏が廃絶して以降は京都御所内の紫宸殿で行われた。
明治2年(1869年)の東京奠都を経た後も、1889年(明治22年)公布の旧皇室典範で『「即位の礼」と「大嘗祭」は京都で行う』との規定により、大正天皇および昭和天皇の即位礼は京都行幸の上で「即位礼紫宸殿の儀(そくいれいししんでんのぎ)」として行われた。
1947年の皇室典範改正では第二十四条に「皇位の継承があつたときは即位の礼を行う。」とあるのみでその斎行場所についての記述がなくなった。
平成2年(1990年)11月12日の125代天皇・明仁の即位礼は東京・皇居で行われることになり、名称も「即位礼正殿の儀」と改められた。
当日はいずれも国民の休日となる
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自衛隊による21発の礼砲の意味は?
日本の自衛隊では「栄誉礼等及び礼砲の実施要綱」などに基づき、3秒ないし5秒間隔で、以下に定められた数の礼砲を発射する。
・国旗、元首、大統領、皇族 21発
・首相、副大統領、その他の国賓 19発
・閣僚、陸海空軍大将 17発
・陸海空軍の中将 15発
・陸海空軍の少将 13発
・陸海空軍准将 11発
儀式によって、礼砲の発砲数が違ったんですね!
「礼砲」とは、軍隊や軍艦が訪問国や外国要人、高官への敬意を表すために大砲の空砲を発射する国際慣行上の儀礼行為。
もともとは帆船が世界の海を行き交っていた時代、他国の港に入港する際に空砲を撃つことで、攻撃の意志がないことを示したことに由来する。
礼砲の習慣が行なわれるようになった当初は、礼砲は奇数、弔砲は偶数という慣例があっただけで、発射数に制限はなく、際限なく発射されていた。
王政復古した直後のイギリスでは、苦しい財政事情の中で海軍の再建と拡充を行なわなければならなかった。
そこで1675年、当時の海軍本部書記官長サミュエル・ピープスが経費節減の一環として礼砲の発射数を規定し、最大発射数を21発とした。
この時定められた発射数が現在に至るまで踏襲されている。なお、礼砲実施中はマストに相手国の国旗や軍艦旗を掲揚する。
礼砲射撃の間隔は、5秒ごとが標準とされ、自衛隊の実施要領でも3から5秒とされている。
まとめ
即位礼正殿の儀での自衛隊による21発の礼砲の意味は?と調べてみましたが、ご理解頂けたでしょうか?
即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)は、即位の礼の中心となる、即位した天皇が日本国の内外に即位を宣明する儀式である。
新天皇のお言葉がとても温かく、優しい気持ちになりました。見ていて、とても緊張感ある儀式で、自分も背筋がピンとしてしまいました。
これからも平和な日本でありますように、願っています。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
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