長渕剛の生い立ちや母への思いが壮絶!?金スマで語られたSTAYDREAMの秘話とは?

歌手の長渕剛(63)が2020年1月24日放送のTBS系「中居正広のキンスマSP」(金曜・後8時)に出演。母・マス子さんの末期がんや認知症の看病で疲弊。

引退を考え、「死んじまいたい」とまで思った過去があったことを明かした。

20歳でヤマハのコンテストで優勝。九州産業大を中退してプロデビューを目指した長渕。

「巡恋歌」「順子」など大ヒットを飛ばし、人気歌手の仲間入りを果たした1981年、25歳の時、当時53歳だった母・マス子さんが末期の大腸がんであることが分かった。

必死に都内の病院を探し、手術を受けたマス子さん。何とか命をとりとめたが、長渕は「貧乏人は病気も治せないんだな。金で命も買えるんだな。だったら、金は持ってなきゃいけないんだな」と痛感したという。

しかし、無事退院した3年後、マス子さんが今度は若年性アルツハイマー型認知症と診断された。以後10年以上の介護生活が始まり、まだ28歳だった長渕自身も疲弊。

ツアーやスタッフとの軋轢(あつれき)や心労も重なり、倒れたことも。ツアー半分の20公演後に緊急搬送されるほど追い込まれたという。

「もう辞めたい。死んじまいたい」と思った時に生まれたのが、「死んじまいたいほどの~」という歌い出しで始まる名曲「STAY DREAM」だった。

「あの歌は自分を鼓舞するため、立ち上がらせるために作った曲です」と長渕は語っています。

認知症診断から5年後にはマス子さんを自宅に引き取り、自ら介護しようと試みたが、「お風呂で母の陰部まで洗った時に『母ちゃん、ごめん、俺、無理だ~』という気持ちになりました」と正直に明かした長渕。

結局、病院に頼ることになったが、自身で面倒を見られない自責の念から涙を流したという。

「母ちゃんは俺が子どもの頃、抱きしめてくれたのに、俺はこんなことしかできないのかと苦しかった。どうやってバランスをとったらいいか分からなくなった」と長渕。

1994年にツアー4公演目でダウン。それをきっかけに肉体改造にも乗り出したと言う。

1988年に生まれた長女・文音はじめ3人の子どもが誕生する一方、2000年8月にマス子さんは死去。

「母はいつも『あんたは幸せで良かったね~』と言っていました。普通は隠すことも全て、人生の現実と言うのを俺に突きつけた母でした」と振り返った長渕。

希望ある生と死にゆく母とのはざまに揺れながら、母を歌った名曲「MOTER」を作ったことも明かしていた。

長渕剛の生い立ちや母への思いが壮絶!?金スマで語られたSTAYDREAMの秘話とは?

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長渕剛の生い立ちや母への思いが壮絶!?

引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200124-00000150-dal-ent

長渕剛さんは鹿児島県に1956年父親が警察官の家庭に生まれます。長渕剛さんの兄弟は兄がいましたが、生後すぐ亡くなってしまったそうです。

長渕剛さんが生まれた時も仮死状態だったようです。母が兄の二の舞にならないように、医者になんとか助けてもらえるようにお願いして注射を1本打ってもらい一命を取り留めます。

家族は、4畳半1間に家族4人父親・母親・長渕さんと5歳年上のお姉さんと暮らしていました。

警察官というと現在では、収入も安定している人気の職業ですが当時の公務員はあまり給料は悪く大変だったそうです。

すきま風が吹き抜ける木造モルタルの四畳半一間の長屋暮らしと言えば想像がつくと思います。

生活は貧しく、長渕さんの母は栄養不足で母乳も出なかったため、米の研ぎ汁で育てられたといいます。

現在では想像もつかいない生活だったそうです。貧しい生活で父親と母親はお金の事で喧嘩が絶えなかったと言います。

差別や格差に満ちた環境で、どんなにがんばっても報われない現実に、やるせなさと「金」や「権力」への嫌悪感でここから抜けだしたいと、もがいていた幼少時代を過ごします。

この経験が人生の大きな糧となっているようです。

「巡恋歌」「順子」など大ヒットを飛ばし、人気歌手の仲間入りを果たした1981年、25歳の時、当時53歳だった母・マス子さんが末期の大腸がんであることが分かった。

必死に都内の病院を探し、手術を受けたマス子さん。何とか命をとりとめたが、長渕は「貧乏人は病気も治せないんだな。金で命も買えるんだな。だったら、金は持ってなきゃいけないんだな」と痛感したという。

しかし、無事退院した3年後、マス子さんが今度は若年性アルツハイマー型認知症と診断された。以後10年以上の介護生活が始まり、まだ28歳だった長渕自身も疲弊。

ツアーやスタッフとの軋轢(あつれき)や心労も重なり、倒れたことも。ツアー半分の20公演後に緊急搬送されるほど追い込まれたという。

「もう辞めたい。死んじまいたい」と思った時に生まれたのが、「死んじまいたいほどの~」という歌い出しで始まる名曲「STAY DREAM」だった。

「あの歌は自分を鼓舞するため、立ち上がらせるために作った曲です」と長渕さんは語っています。

認知症診断から5年後にはマス子さんを自宅に引き取り、自ら介護しようと試みたが、「お風呂で母の陰部まで洗った時に『母ちゃん、ごめん、俺、無理だ~』という気持ちになりました」と正直に明かした長渕。

結局、病院に頼ることになったが、自身で面倒を見られない自責の念から涙を流したという。

「母ちゃんは俺が子どもの頃、抱きしめてくれたのに、俺はこんなことしかできないのかと苦しかった。どうやってバランスをとったらいいか分からなくなった」と長渕。

先日放送された金スマを見ていたんですが、長渕さんは東日本大震災の一週間後に訪れたという。

そこで共に立ち上がるために向かわれた。自衛隊の方達と共に復興に協力されています。

日本を元気に!と魂が足を向かわせたのかもしれませんね?

お母様はガンになったにも関わらず、長渕剛さんの事をいつも心配されていたそうです。

そんなお母様に育てられた長渕さんは、困ってる人を救いたいと思ったのでしょうね。

ほんと、見ていて涙が止まりませんでした。感動しました。

やはり苦労してこられた人って、人の痛みをわかる人なんだと痛感しました。

自分も片親で母親1人で育ててくれました。正直貧乏でした。電気ガス水道が止まる日もありました。

自分も困ってる人間を助けられるような人間になりたいと思いました。

長渕剛・・・最高にカッコイイです!尊敬します!!体調を崩されたので、無理にないように、これからも熱く生きて下さい。

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金スマで語られたSTAYDREAMの秘話とは?

引用元:https://nikkan-spa.jp/1632637

当時53歳だった母・マス子さんが末期の大腸がんであることが分かった。

必死に都内の病院を探し、手術を受けたマス子さん。何とか命をとりとめたが、長渕は「貧乏人は病気も治せないんだな。金で命も買えるんだな。だったら、金は持ってなきゃいけないんだな」と痛感したという。

しかし、無事退院した3年後、マス子さんが今度は若年性アルツハイマー型認知症と診断された。以後10年以上の介護生活が始まり、まだ28歳だった長渕自身も疲弊。

ツアーやスタッフとの軋轢(あつれき)や心労も重なり、倒れたことも。ツアー半分の20公演後に緊急搬送されるほど追い込まれたという。

「もう辞めたい。死んじまいたい」と思った時に生まれたのが、「死んじまいたいほどの~」という歌い出しで始まる名曲「STAY DREAM」だった。

母の病気やツアーと心労が重なり、本当に死んじまいたいと思ったそうです。そこで生まれたのがSTAY DREAMだそうです。

ものの数分で出来上がってしまったみたいですね。自分の現状を歌にし、思いをぶつけた曲が大ヒット。

魂からの叫びみたいな感じですよね!カッコイイですし、めっちゃ心に突き刺さる歌です。

長渕さんの曲は実体験からくる曲で、みんなの心にズバっと突き刺さってくるんですよね。

本当に感動します!体調に気をつけて、これからも魂の歌を聞かせてもらいたいですね。

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まとめ

歌手の長渕剛(63)が2020年1月24日放送のTBS系「中居正広のキンスマSP」(金曜・後8時)に出演。母・マス子さんの末期がんや認知症の看病で疲弊。

長渕剛の生い立ちや母への思いが壮絶!?金スマで語られたSTAYDREAMの秘話とは?と伝えてきましたが、まだまだ語りつくせないこともあります。

本当に熱い長渕剛さんのファンになってしまいました。

これからもお身体に気をつけて、頑張ってもらいたいですね。

とても人生勉強させて頂きました。

最後まで読んで頂きありがとうございます!

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